旧型国電

2020年7月16日 (木)

NIKKOR Z24-200mmf/4-6.3VR導入・試写(ぽっぽの丘編)

NIKKOR Z24-200mmf/4-6.3VR試写の続きで小湊鐵道で撮影の後、午前10時から営業開始するぽっぽの丘へ行ってみました。

いすみ鉄道の撮影に行くたびに寄りたいと思いつつなかなか行けずじまいでしたが、国鉄型気動車急行の運行開始が大多喜1137発なので時間調整にちょうど良い形になりました。

駐車料金1000円を払いぽっぽの丘へ入場します。

クモニ83006
クモニ83006 posted by (C)jun Nikon Z6 Z24-200mmVR

東芝府中工場から搬入されたクモニ83006、現在修復中の仮の姿を見せてくれました。

車のクラクションのような音がしてうるさいなあと思っていたら入換動車が車掌車を牽いて小運転していました。

係員にどうやって乗るのかと聞く「そのまま乗ってください。」と言うので早速ヨ5000に乗り込みました。

2軸貨車(車掌車)の乗り心地はダイレクト感があるというか連結器の遊びの衝動がたまらないです。

ちなみにヨ8000の便所は施錠されていました。

10t入換動車
10t入換動車 posted by (C)jun Nikon Z6 Z24-200mmVR

写真ではヨ8000と切り離されていますが、車掌車とつないだ状態で数往復し、切り離した後も入換え動車のデッキに乗ることが出来ました。

続いて元銚子電鉄の展示車両です。

銚子電鉄デハ701@ぽっぽの丘
銚子電鉄デハ701@ぽっぽの丘 posted by (C)jun Nikon Z6 Z24-200mmVR

私が銚子電鉄に初めて乗ったのが初日の出臨のデハ701でした。

実に懐かしいです。

元銚子電鉄デハ702
元銚子電鉄デハ702 posted by (C)jun Nikon Z6 Z24-200mmVR

こちらは入換動車のデッキから撮影しました。

梅雨の中休みで暑かったのですが、ちょうど涼風が当たるスポットでした。

入換動車を運転していたオーナーさん?の話によるとぽっぽの丘の保存車両は各保存団体に場所を提供しているとの事。

屋外展示で屋根がないので5年を目安に再塗装しているとの事でした。

こちらでの撮影は展示物の記録ですので小型軽量なZ6+Z24-200mmの組み合わせはベストマッチでした。

ぽっぽの丘と言えば生みたて卵の販売ですが、その卵を利用した卵かけごはんを食べてみることにしました。

こちらの営業は午前11時からとなっており、デハ702の写真の後方に見えるいすみ204の車内で食べることが出来ました。

腹ごしらえも出来たのでいよいよいすみ鉄道へ向かいました。

続く

| | コメント (0)

2020年5月25日 (月)

KATO クモハ12 50鶴見線(クモハ12052)

我が家にKATO クモハ12 50鶴見線(クモハ12052)が入線したので紹介します。

KATO クモハ12 50鶴見線(クモハ12052)
KATO クモハ12 50鶴見線(クモハ12052) posted by (C)jun

我が家には南武線クモハ11 200とクハ16がありましたが、クモハ11052がKATOから過去に発売していることを知りGW後段にAmazonでぽちっしました。

GW明けに届いたのでしばらく手付かずの状態でしたが、ようやく余裕が出来たので手を加えてみました。

まず室内灯ですが、電球色のものが指定されておりそのまま組付けます。

しかし、17m級のモデルではそのままというわけにはいかず、説明書のとおり照明ユニットのピンを約3mmニッパーで切断、照明板も車体長に合わせて短くします。

L字型の集電板を組付けるのがまた厄介で先を若干上に折り曲げ精密ドライバーで誘導しながら差し込みました。

車体側の加工ですがジャンパー栓を2個組み込み、連結器周りのパーツをはめ込みます。

前サボは黄色いものがいいのですが、今回は割愛し後日取付けることにしました。

さて実物のクモハ12052について

クモハ12052
クモハ12052 posted by (C)jun CANON AE-1 NewFD50mmf/1.4

鶴見線大川支線は武蔵白石駅構内の急曲線に対応するため17mm級のクモハ12052、クモハ12053が1996年まで使用されていました。

私も何度か訪問しましたが、クモハ12052が撮影出来たのはこの時くらいでクモハ12053がやってくることが多かったです。

クモハ12052は引退後、車籍を残したまま東京総合車両センターに保管され余生を送っています。

相棒のクモハ12053は解体されました。

最後に動画です。

国鉄時代の旧型国電の旅

サムネイルの旧型国電はクモハ12053です。

さて新型コロナウイルス感染拡大に伴う非常事態宣言も解除の運びとなりましたが、撮影自粛というより撮影対象そのものが走っていないので模型へ避難する状態は当面続きそうです。

 

| | コメント (0)

2013年9月30日 (月)

鶴見線クモハ12現役の頃

おかげ様で当ブログも120,000アクセスを達成しました。

こじ付けではありますが、鶴見線のクモハ12を紹介したいと思います。

188362216_org_6

武蔵白石駅へ向かうクモハ12053 EOS-1nHS EF80-200mmF2.8L

早朝の鶴見線を大川支線へ向けて回送するクモハ12053です。

188362205_org

大川駅に停車中のクモハ12053 EOS-1nHS EF50mmF1.4USM

クモハ11に運転台を増設して誕生したクモハ12、こちら側は増設された運転台側です。

188362186_org_2

大川駅を発車するクモハ12053 EOS-1nHS EF80-200mmF2.8L

京浜工業地帯のコンビナートを後にするクモハ12053、こちら側はオリジナルの運転台側です。

鶴見線のクモハ12は平成8年3月武蔵白石駅大川支線のホーム撤去とともに僚機のクモハ12052とともに引退、大井工場で保管されていましたが、平成18年車籍抹消、平成22年に解体されたそうです。(クモハ12052は静態保存中)

その他、鶴見線で活躍した車両について

188362168_org_4

前面強化された黄色の103系 EOS-1nHS EF80-200mmF2.8L

こちらは平成8年も205系と交代し引退しました。

188362148_org

浜川崎駅に停車中のEF15 79【八】 AE-1 NewFD50mmF1.4

こちらは昭和57年12月に撮影したものです。この日にクモハ12052に乗って写真を撮ったはずなのですが、なぜか見つからず…

浜川崎駅周辺の光景は現在もあまり変わりませんが、使われなくなった貨物線に雑草が茂っていて栄枯盛衰を感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月18日 (土)

119系誕生の頃と飯田線の旧型国電

S58年(1983)に登場した1M方式の近郊形電車119系、飯田線で余生を送っていた80系湘南電車や旧型国電(省電)を置き換え、誕生から約30年飯田線を走り続けてきましたが、今春引退することになりました。

http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000013855.pdf

そんな119系が誕生した頃、余生を送っていた旧型国電の撮影に出かけた時のことを紹介したいと思います。

119

誕生間もない頃の119系 AE-1 NewFD50mmF1.4

S58.4.2、飯田線の旧型国電の撮影のため、新宿から急行アルプス・こまがね(3号?)に乗り込みました。

撮影地の当てはなく、とりあえず駒ヶ根までの乗車券・急行券購入しての乗車でした。

編成は、新宿方が1号車で急行アルプスが1~7号車(1~3指定席)McM'TsTcMcM'Tc、急行こまがねが8~11号車(全自由席)McM'TcTcとなっていました。当時の記録を見るとモハ164-814に乗車していました。これは中央線用の一部低屋根車になります。

165alps

急行アルプス・こまがね S60.6 AE-1 NewFD50mmF1.4

Tb165

急行かいじの半室食堂車(ビュッフェ)付サハシ165 S56.12 AE-1 NewFD50mmF1.4

中央線の急行といえばビュッフェ付のサハシ165が遅くまで連結されていましたが、この時は、残念ながらすでに廃車となっていました。 

さて、辰野で急行アルプスと分割した急行こまがねは飯田線に入っていきます。

そして、思いつきでありましたが、車両基地のある伊那松島で途中下車し、伊那松島機関区(静ママ)を訪問することにしました。機関区を訪問すると、名前を書けば自由に撮影をさせてもらうことが出来ました。古き良き時代でした。

この頃は、元祖湘南電車80系はすでになく、スカ色の旧型国電が最後の活躍をしていました。

Mc54

伊那松島に集う旧型国電(省電)クモハ54とクハユニ56 AE-1 NewFD50mmF1.4

Tpgc56

合造車クハユニ56002 AE-1 NewFD50mmF1.4

Tc47

クハ47009とクモハ53008(半流) AE-1 NewFD100-200mmF5.6

元横須賀線用のクハ47と元関西急電用クモハ53が仲良く連結されていました。

一方、本線である飯田線に目を向けると、荷物列車や貨物列車がやって来ました。

Mgc83100

クモニ83 100番台(旧湘南電車モユニ81) AE-1 NewFD50mmF1.4

Mgc13 

当時、最古参の国電であったクモニ13 AE-1 NewFD50mmF1.4

Ed625

ED62 5牽引の貨物列車 AE-1 NewFD50mmF1.4

飯田線で忘れてならないのは流電クモハ52、こちらもすでに引退済みでしたので、後年佐久間レールパークで撮ったものを紹介しておきます。

Mc52

飯田線時代の特徴を残す佐久間レールパークの流電クモハ52(現在、リニア・鉄道館所蔵)

さて、伊那松島で撮影を済ました後は、伊那松島~駒ヶ根~辰野と旧型国電(省電)に乗車し、ニス塗りのセミクロスの車内と吊り掛けモーターのサウンドを楽しみ、辰野からは新宿行き夜行列車442M(115系)で帰路につきました。

旧型国電(省電)最後の楽園であった飯田線。その置き換えで登場したのが119系。101系などの廃車派生品を流用するなど、当時の国鉄の事情が偲ばれます。

また、塗装の簡略化のため、青色22号の塗装に灰色9号のシートを貼り付けたものでしたが、そのシールが悪戯で一部はがされたこともありました。

そして、JR東海に全て継承された119系、一部は両運転台に改造されたり、一時期、東海道本線を「するがシャトル」として走ったりしましたが、そのほとんどが、本来の目的である飯田線を走り続けてきました。

そんな119系もまもなく引退、時の流れを感じてしまいます。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月 5日 (火)

リバイバルつばめと湘南電車80系(S57.7)

先回のリバイバルつばめに続き、S57.7のリバイバルはと・つばめと湘南電車について…

1982.7.8付読売新聞によると「“特急復活”にもナワ張り」のタイトルで「はと」(下り)「つばめ」(上り)24・25運転 往復切符買えず?とあります。当初、「はと」だけの運転を企画していたところ、東京南・大阪両鉄道管理局が昔の管轄権をもとに対立、「はと」「つばめ」の片道運転になったとのことでした。

さて、私は青春18のびのびきっぷを用意、「はと」「つばめ」の撮影に望みました。

57hato

どうしても浜名湖の鉄橋で撮りたかった私は、東海道本線普通列車を乗り継ぎ、弁天島~新居町で「はと」を撮影しました。S56.7の「つばめ」と違い生憎の天気となりました。続いて、豊橋へ向かい、飯田線完乗を目指します。

Tc86300_2

豊橋駅に停まっていた辰野行きは80系300番台、いわゆる全金車でナハ10系と同等の車体構造を持ちます。豊橋を出発した80系は、名鉄との併用区間を快調に飛ばし、飯田線へと入っていきます。80系らしい高速運転を楽しめたのはこの併用区間だけでした。さて、吊り掛けモーター音も高らかに列車は山間へと向かっていきます。

80

佐久間での長時間停車を生かして、駅撮りしました。

Photo

急行列車の通過待ち、タブレット交換が行われていました。沿線はほとんどがスプリング式の矢羽根転轍機だったと記憶しています。旧型客車ではありませんが、停止間、コンプレッサーが停まるととても静かな車内なのが印象的でした。車内は薄緑色の内装、ドア隣の2人がけのロングシートとつり革を除けば、オールクロスでなかなか風格のある作りでした。80系電車は119系の投入で戦前の省電たちとともに姿を消しました。

辰野では長野発新宿行きの夜行列車を待ちます。途中、新宿行きのあずさ号が発車し、これに乗れば当日中に東京へ帰ることが出来るのですが、青春18きっぷ故、普通列車を待ち続けました。新宿行き夜行は115系300番台で東京寄りに2両の荷電を連結してました。窓を開けると前方から吊り掛けモーター音が鳴り響いてきて郷愁を誘いました。

さて、一夜が明け、新宿に到着すると再び東海道本線に乗り、一路、掛川を目指しました。

9002s

雨の東海道本線を東へ向かう臨時つばめ号、当時、通っていた八千代市内のつばさ模型店のショーウィンドウに飾ってもらった想い出の1枚となりました。

帰り道は、御殿場線を完乗し、千葉へ戻りました。

余談ですが、つばめ号といえば展望車マイテ49、旅立ちJR号にも使われ、時折、SLやまぐち号にも連結されていますが…

49

一度はつばめのテールマークをつけて走ってもらいたいものです。

49_4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月 3日 (日)

リバイバルつばめと旧型国電(S56.7)

今回は30年前にタイムトラベルして頂こうと思います。S56.7.25~26夏休み企画列車として9001レ、9002レリバイバルつばめ号が1往復復活運転されました。現在のリバイバルトレインの走りになります。1981.6.24付読売新聞によると、「懐かしの超特急つばめ復活」のタイトル「あのEF58型、展望車は無し…」「当初はSLの使用を検討、沿線に給水設備がないので断念」とあります。

私は連れと東京駅の旅行センターに徹夜で並び、乗車券を入手しました。その時に配られたか車内で入手したかは忘れましたが、復刻版の乗車券・特急券が配られました。

Photo_2

Photo_3

さて、牽引機こそEF58型でしたが、客車は現役時代とは関係のない14系、しかし、特製のサボが用意されました。

Photo_4

東京駅を0900に出発したリバイバルつばめ号は7時間30分の当時と同じ所要時間で東海道本線を突っ走りました。車内では女子大生のふんするつばめガールのイベントも開かれ、また、オシ14を連結して食堂の営業も行われました。

Menu

私は、浜名湖通過を食堂車で迎えるべく静岡を過ぎてからオシ14へ行き、つばめ定食(ミックスフライ定食)を食べました。また、この企画列車協賛企業であるヤクルトからタフマンが配られました。沿線には撮り鉄が多数、景色も変化に富んだ東海道本線、あっという間に大阪へ到着しました。

56tsubame3

隣に停まっているのはポートピア81の団臨です。さて、学生の私にはホテル宿泊なんて贅沢は出来ず、このまま臨時急行銀河52号で帰京することになりました。この日の牽引機はEF58129、往路と同じ14系座席車であり、あまり芸がありませんでした。何故か写真は撮らなかったので指定券でも…

52

そして、臨時銀河といえばこのサボ

Photo_5

さて、帰路は終焉を迎えようとしていた身延線の旧型国電(というより省電か?)の撮影のため、富士で途中下車しました。

Mc51800

身延線はトンネル断面が低いので一部低屋根仕様のクモハ51-800が使用されていました。

Mc51

また、晴れれば富士が望める、堅堀~入山瀬へ行ってみましたが生憎の曇り空でした。

51800

そして最後は、9002レ上りリバイバルつばめを根府川~早川で待ち受けました。

56tsubame1

パワーワインダーくらいの連射なら手巻き上げでも十分と思っていましたが、三脚・カメラがぶれて最悪の結果になりました。

56tsubame2

今は、ここでは撮れないですね…

リベンジは翌年夏まで待つことになりマシた。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)